案ずるより産むが易しと言うけれど案じてばかりの日々が続いている。毎日毎時間毎分毎秒、とにかく頭の中がうるさくて仕方がない。中島らもが頭の中がカユいんだと言っていたのもちょっとわかってきたかも。うるさい頭を少しでも楽にするために掻いたり書いたりしなきゃいけない人間がこの世には一定数いる。それが自分だったなんてなぁ。
ニュースレターを始めたときは頑張って毎週までとはいかずとも月単位では更新したいと意気込んでいたのに、筆を執るのが億劫なまま新年を迎え、また一つ歳を取り、冬が終わろうとしている。1月も2月もあったようでない気がする、いや、あったか。多分あったけど、辛い出来事からしか思い出せないのはなんせ頭がカユいからです。なんで頭がカユいかって?頭皮が乾燥するまで遊んだり寝込んだりするからよ!
コロナウイルス感染記
1月下旬、ついにコロナに罹った。オミクロン株の感染者数がちょうどピークに差し掛かったあたりで、PCR検査を受けられたのは発熱から3日後くらいのことだった。着信履歴を遡ると保健所の電話番号の横には62の文字、医療崩壊の現実を知る。
熱でヘロヘロな状態でなんとか昼過ぎに病院にも連絡したとて、「本日の検査分は予約いっぱいでして…」と申し訳なさそうな看護師の声。どうやら今は朝イチで電話しないとPCR検査の予約が取れないらしい。62回も電話をかけてる間、この人は何度電話口で謝ったんだろう。看護師も病人も誰も悪くないのが余計しんどい。
次の日の朝イチ、同じ病院に電話をかけたら30回目あたりでやっと繋がりなんとか午後の予約が取れた。発熱外来の場合、公共交通機関の使用はできるだけ避けて欲しいとのことで片道徒歩20分は気合の自転車かこっそりタクシーを使うしかないとのこと。できる限り念入りに防護してこっそりタクシーに乗った。行き先を伝えるとドライバーはもう慣れたような扱いをしてくれて、むやみやたらに話しかけてこられることはなかった。タクシー特有の匂いで普段にはない車酔いをする、吐いちゃダメだ吐いちゃダメだ…。エヴァの中ってこれくらいしんどいのかな、タクシーの匂いがわかるだけまだ嗅覚もあるしコロナじゃないのかも。でも正直ここまでしんどいならコロナじゃない方が怖い。病人になってまで頭の中がうるさくて、そんな自分が嫌になった。
検査結果が出たのは病院に行ってから3日目のことだった。すっかり熱は下がったものの、ここで嗅覚がなくなったことに気づく。Uber Eatsで頼んだマックの匂いが一切しなかったのだ。お土産でももらったヤードムを嗅いでも、普段なら臭いはずの煙草に火をつけても何も、何も感じない。さて味覚はどうだろう、と香ばしさのかけらもないポテトを食べる。油と塩の味しかしない。味覚の1/3は嗅覚が支配してるんだろうなぁ、と当たり前のことに改めて気づかされた。
コロナがもう世界の当たり前になってきたけど、コロナに罹ると当たり前の生活が当たり前じゃなくなる。外出禁止はもちろんのこと、ただの風邪なんかじゃいから根本的な治療薬もないしその場しのぎのロキソニンくらいしか信じられない。おかゆは喉に張り付いて気持ち悪いからうどん、杏仁豆腐あたりしか食べられない。嗅覚がない分、唯一食べられるものもただのディストピア飯になる。周りにもはちゃめちゃに謝らなきゃいけなかったし、変な罪悪感にもある程度苛まれた。気にするほどじゃないよって言われても、それ以上に気にしてしまうほどとにかくしんどいのがただの風邪との違いだと思い知った。自治体からの食料や救援物資は自宅療養期間が終わっても届かないままだ。
コロナは一度罹れば抗体ができるらしい。だけど、最近では変異株の流行もあって二度三度罹ることもあるそう。またいつか罹るかもしれないので、下記だけはメモに残しておきたい。
PCR検査を受けたけりゃ朝イチで病院に電話
かかりつけ医がいないなら●●会みたいな大きい病院なら受診できる可能性大
おかゆよりうどん
ロキソニンと巨大ポカリは常備
食料や救援物資は保健所経由じゃない自治体もあるからあらかじめ調べておく
保険用の証明書の発行はかなり時間がかかるから自宅療養中に申請
26歳になった
コロナからちょっと復帰したあたりにまた一つ歳を取った。26歳、番茶も出花、ついにアラサーの幕開けである。もういい加減歳を取るのはめでたくもないがまだ怖くもない。年齢にどーのこーの呪いをかけてくるのは自分じゃなくて大体が社会だから、と思えるのも物心がついてから奇跡的にもありがたいことにも1人で誕生日を過ごしたことがないからか。いつか1人で過ごす日が来たら果たして同じ言葉は言えるのかな。不安は未来の感情でしかないのなら未来の前にまず今を生きてやる、と強がれるのもそろそろ限界なのかな。終わりが来るその日まで強気に呑気にやってこう。
未来なんかより不安なのは過去だ。過去の積み重ねで今があって未来に向かっていくから。最近の過去を振り返ると、心身の調子が悪くはないハレの日があるととにかく限界まで突っ走ってしまう癖があって本当に良くないなと反省してばかりいる。過去を振り返っては一体この過去がどんな未来を作ってしまうのか不安になり、そしてまた心身の調子を崩してしまう。勘ぐり、なんてチープな言葉で済ませられないほど世界に申し訳なくなったり不安になったりするのは向き合ってる世界の相手が人だからだろう。
ハレの日に会った友達は宇宙という世界に向き合っていた。その体験記がかなり面白かったから読んでみてほしい。
多分わたしは宇宙にそこまで興味がない、宇宙より怖くて面白いのは人だ。だが宇宙はこちらに語りかけないが、人はこちらに語りかける。また、わたしは宇宙に語りかけれないが人には語りかけられる。そこがとにかく、面白くて怖い。その恐ろしさを表に出さないよう防衛線を張ったり、時には誤魔化すように喋ったり、頭の中のうるささを爆発させてしまう良くない癖が最近出てしまってるな〜と部屋の隅で体育座りをしながら思い悩んでいる。世界への興味と恐怖が最悪なかたちで交わってしまっている。当分静かに暮らしたいと願うのも束の間、きっとまたハレの日に遭遇したら興味と恐怖に心身が支配されてしまうだろう。
そうならないためにも、うまく世界の恐ろしさを面白がりながら過去の不安を持たずに未来へ生きるためにも、やはりまずは対話から始めなくてはならない。相手が自分であれ人であれ、いったんはうるさい頭をセーブしながら対話をしていきたいと祈りにも近い目標を26歳のわたしは掲げていきたい。ハレの日、地下の夜、インターネット、いつかどこかで会話を交わした誰か、とにかくおしゃべりを、おしゃべりを続けよう。不安を打ち消すほどの無責任の甘美なおしゃべりを。世界の、あなたのくちびるから散弾銃をぶちかまして、わたしのうるさい頭を撃ち抜いてくれ。
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